2008年08月19日
~北京留学指南③~
星野ジャパンVS中国戦・・・あまりの点差に・・・ちょっと面白みに欠ける・・・
さて、前回眠くて途中までしか書かなかった続きですが、書けるところまでということで(笑)
外国語学習ってある程度までは飛躍的に伸びるんですけど、ある程度までくると停滞期というかちょっとした
スランプに陥ることがあります。会話が伸びなかったり、ほんとにこれでいいの?ともどかしくなる時期があるのです。
私は1か月ほどフランス・Angersという町に短期留学目的でフランスの一般家庭にホームステイしたことがあります。
その時のマダムはフランス語しか話さずとにかくフランス語漬けでいやになったこともあったけど会話やヒアリングが飛躍的
に伸びたこともあり、北京留学の際には特に日本語を知らない、わからない中国人とルームメイトになりたいと考えてました。
相互学習でいろいろな中国人の友達がいたけど結局は相手のペースに巻き込まれたりして相互学習がはたして有意義か?
と考えるときもあり・・・・
そういうわけで新しい住居を探し・・・私の場合、電信柱に張り付けてあったルームメイト募集を見て、電話して、
なぜか即決めてしまいました。なんか縁があったんでしょうね・・・
3LDKで5人住んでました(笑)私ともう一人日本人が1部屋ずつ使い、中国人3人は1部屋に3人暮らしてました。
大家には4人しか住んでないと申告しており・・・その分家賃を支払う金額も少なくて済むし、こういう状況は普通ってことでした。
中国人のルームメイトはアルバイトをしつつ勉強をしてるといった状況で、まじめでいろんな意味で楽しかった。深セン、丹東、河北省と出身はバラバラだけど
一緒に御飯作ったり、ご飯食べに行ったり、いろいろお悩み相談をしたり、学校の授業では決して学べないような
生活用語や生活習慣、その他もろもろ知ることができました。中国語以外にも韓国語を学ぶために塾にいったのもルームメイトの影響があったりして・・・
今はあのメンバーもバラバラになったって聞いたけど、北京には住んでるみたい。
日本に完全帰国する際、3人に見送ってもらったっけ・・・また北京で会おうって約束したな~。
実は最初にルームメイトになった韓国人は、韓国に帰国するときに中国に居たくないってかなり精神的に参ってたから
もしや私もそんな風になるのかなって不安に思うこともあったけど・・・
ほんと人に恵まれてます・・・
ではまた続きはのちほど~。

2008年08月07日
~北京留学指南②~
北京オリンピックまでカウントダウンが始まりましたね~。
反町ジャパンはアメリカに負けてしまいましたが↓ 残念!明日の夜はTVで開会式!楽しみです~。
さて、昨日の続きですが、
中国語がまったくできない状態で”北京語言大学”に留学した私ですが、
まず、学校が始まる前にレベルチェック、つまり中国語の試験がありクラス分けがあるのですが、
ま~ったくゼロレベルだったので試験は受けませんでした。確かに漢字はわかるけど読めないので(笑)
で、ゼロレベルのクラスに入ったのですが、クラスメートは、まず東南アジア系(インドネシア、ベトナム)、アフリカ系(ニジェール、ガーナ)、南米系(ベネズエラ、キューバ)、ヨーロッパ(東欧含む)系(ポルトガル、ルーマニア)、アジア系(日本人、韓国人)と国籍はさまざま。アジア系以外の人は奨学金や国費、会社派遣で留学しに来てる人がほとんどで自費で来ている
私としてはうらやましい~の一言。
ゼロレベルといってもインドネシアのクラスメートは華僑だからまったく中国語を知らないわけではないし、
一から中国語を勉強したいということでわざとこのクラスを選んできてる人もいましたし、サーズで一時帰国していた人も
改めて勉強する意味でこのクラスを選んでましたね~。
まあゼロレベルといっても漢字を知っているアジア系は他の国の人より断然理解が早く、授業の中には漢字を書く練習
とかある時ははっきりいってつまらなかった時もあったけどね~。
んで、その時の私は今よりフランス語が話せたので、アフリカ人やヨーロッパ系の人とつるんでました・・・
たまに中国語を学びに来たんだよね??と思うこともしばしばありました。
国際的なのはいいけどね~。
留学の半年間は遊んでたような・・・・工人体育館付近まで行ってクラブで遊んだり、後海のおしゃれなバーに飲みに行ったり・・
なんか北京の生活じゃあないみたいな・・・
んでこれじゃいけない!と思い、ルームメイトが韓国に帰国したと同時に学校の寮を出る決意をしたのですが・・・
あ・・眠くなってきた(笑)
また次回!

タグ :北京留学
2008年08月06日
~北京留学指南①~
今日は広島原爆の日。小学生とか登校日なのかな~と考えつつお仕事中(笑)
さて、北京オリンピックまで2日となりました~~~!なんかあっという間ですね~。
さて、北京は2003年8月末から2005年5月末まで留学のため住んでいた町です。
中国に留学するにあたって、私はその当時全く中国語が話せなかったので留学斡旋会社に頼んで
薦められたのが、「北京語言文化大学」。本当は北京師範大学と迷ったけれど外国人に対する中国語教育には
定評があるということで決めました。中国に行く前は、中国語の辞書を買ったり、Xビザを取るために
健康診断やHIV検査をしましたね~。
2003年5月はあの”サーズ”という病気が流行った時期でもあり、両親にもかなり反対されましたが、8月にはサーズの影響で
帰国した人たちも北京に戻り、TVで観たような閑散とした感じは無く、いたって普通でした。
北京には知り合いもいなかったけど何かあれば留学斡旋会社の北京現地係員(?)みたいな人がいたので
最初は対応してくれたので結構助かりました。
私が北京に来て半年住んだのは大学内にある寮でした。たしか4楼。2人部屋で机とベットがあり、トイレ、風呂も付いてました。
ルームメイトは韓国人の大学生で、最初は片言の英語での会話。よく一緒に簡単韓国料理を作ったり、
ご飯を食べに行きましたね~。彼女は大学で中国語を専攻していて、HSKという中国語を母国語としない中国語学習者のための唯一・公認の中国語能力認定標準化国家試験の勉強を熱心にしてましたね~。
中国に留学している韓国人のほとんどがこのHSKのために留学して、中国語を勉強しているといっても過言ではないような・・・
北京に来た日、バスに乗って天安門広場に来たことを覚えてます。
添乗員だったころよく来たのでなんとなく場所は知ってたので^^
少しずつ北京留学のことを書いて、北京を知っていただければ~と思います。

さて、北京オリンピックまで2日となりました~~~!なんかあっという間ですね~。
さて、北京は2003年8月末から2005年5月末まで留学のため住んでいた町です。
中国に留学するにあたって、私はその当時全く中国語が話せなかったので留学斡旋会社に頼んで
薦められたのが、「北京語言文化大学」。本当は北京師範大学と迷ったけれど外国人に対する中国語教育には
定評があるということで決めました。中国に行く前は、中国語の辞書を買ったり、Xビザを取るために
健康診断やHIV検査をしましたね~。
2003年5月はあの”サーズ”という病気が流行った時期でもあり、両親にもかなり反対されましたが、8月にはサーズの影響で
帰国した人たちも北京に戻り、TVで観たような閑散とした感じは無く、いたって普通でした。
北京には知り合いもいなかったけど何かあれば留学斡旋会社の北京現地係員(?)みたいな人がいたので
最初は対応してくれたので結構助かりました。
私が北京に来て半年住んだのは大学内にある寮でした。たしか4楼。2人部屋で机とベットがあり、トイレ、風呂も付いてました。
ルームメイトは韓国人の大学生で、最初は片言の英語での会話。よく一緒に簡単韓国料理を作ったり、
ご飯を食べに行きましたね~。彼女は大学で中国語を専攻していて、HSKという中国語を母国語としない中国語学習者のための唯一・公認の中国語能力認定標準化国家試験の勉強を熱心にしてましたね~。
中国に留学している韓国人のほとんどがこのHSKのために留学して、中国語を勉強しているといっても過言ではないような・・・
北京に来た日、バスに乗って天安門広場に来たことを覚えてます。
添乗員だったころよく来たのでなんとなく場所は知ってたので^^
少しずつ北京留学のことを書いて、北京を知っていただければ~と思います。

タグ :北京留学